ココナッツ専門店ココウェル

ココナッツ情報マガジン「ココナティスト」
COCONUTIST 2021・Summer


Cocowell 17th
特集 ココウェルとココナッツ

日本にないココナッツを、日本の暮らしのあたりまえにする

2021年8月に17周年を迎えるココウェルがどうしてフィリピンのココナッツにこだわり日本に届けているのか、その思いを代表の水井がお話します。

web版では、配布している季刊誌「ココナティスト2021夏号」に掲載できなかったお話も追加しています。

 

貧困の連鎖をココナッツでなんとかしたい

 

フィリピンで知った大切なこと

当時通っていた大学の授業で、学生が参加国の代表に扮してディベートし、温室効果ガス排出の削減目標を決定するという模擬COP3京都会議が行われました。その際、僕はフィリピンの大統領役で意見を述べたことがきっかけで、途上国の環境問題に興味を持ちました。卒業後、環境問題を深掘りしたいと考え、専門学校へ入学しました。ここでは環境ビジネス専攻科という、ビジネスを通して環境問題を解決する学科を開設したばかりで、僕は1期生でした。1年目終了後、途上国の現状を見たいとフィリピンの大学へ3ヶ月の短期留学に行きました。

ココナッツ農園の様子

 

フィリピンのへの短期留学時代

 

貧しい農村を訪ねて、見つけた未来

フィリピンでは、ゴミ山のことをスモーキーマウンテン、そこでゴミを漁る人のことをスカベンジャーと呼びます。ここでゴミを拾い、なんとか命をつないでいる人のほとんどが、貧しい農村地帯から都会に仕事を求めて来た人でした。しかし仕事にはありつけず、ゴミを漁る生活を強いられていました。目を開けていられないほどの劣悪な環境の中、ここで生まれた子どもたちも親の背中を見てゴミを漁るのです。とてもショックでした。

フィリピンのマニラにあるスモーキーマウンテン(イメージ写真提供 :NPO法人アクセス)

 

また農村地帯を訪れる機会があり、そこで見た風景は見渡す限りのココナッツ林でした。なぜたくさんココナッツの木があるのに貧しいのか。

長年アメリカの占領下にあったフィリピンでは、独立後もココナッツオイルのほとんどが工業用オイルとして安価に買い叩かれ輸出されていました。手間をかけて育てても二束三文にしかならない。これだけの資源が放置されている姿に、彼らの状況へのあきらめと、絶望を垣間見たようでした。

ココナッツの実が一面に敷き詰められた農園の様子

 

豊かな資源ココナッツが貧困を救う。

しかし僕は豊富にあるココナッツの木を資源にすれば、農村も豊かになるのにと思いました。調べてみると、ココナッツはオイル、ミルク、砂糖をはじめ殻までも利用でき、捨てるところがない木だと知りました。そんな素晴らしい植物がこれほどあるのなら、貧困を救う可能性はあると確信したのです。

ココナッツの果肉を削っている様子

 

知ってもらい、使ってもらえる喜び

3ヶ月の留学を終え、日本に帰国。しかし持病である腎臓の機能が悪化し緊急入院。その後も入退院を繰り返し、学業を継続することができなくなりました。体調的にも就職活動はできなかったため、ココナッツに特化した事業をはじめることにしました。


僕がフィリピンに滞在していた頃、ほんの少量ですが、濃厚な香りのエキストラバージンオイルが作られ始めました。この貴重なオイルは、一部の人のあいだでは肌や髪に塗ったり、料理にも使われていました。このバージンココナッツオイルの原料を輸入して化粧品をつくろうと考えました。フィリピンでオイルをまとめてつくってくれる会社を手配し、瓶会社を探すなど手探りで2004年にココウェルをスタートさせました。

フィリピンのお母さんセリアさんと出会ったころの様子(写真左下:セリアさん)

2018年、ブルース・ファイフ博士(左前)、メアリー・ニューポート博士(左後)とセリアさん(右)

当初、フィリピンでの手続きなどは留学当時からお世話になっていた“現地のお母さん”として家族のような存在のセリアさんにお願いしました。現在もフィリピンのスタッフとして活躍していただいています。来年70歳を迎えますが、年齢以上に若く活動的でまだまだ元気です。日本にも何度か招待したことがあり、結婚式にも参列してもらいました。

 

開業時、事務所として使っていた長屋(シャッター左側)


開業資金は子どもがいなかった伯叔父が僕のために結婚資金を残してくれていたので、それを使わせてもらい、父の会社の一角を間借りしてのスタートでした。

最初は本当にお金がなかったので、商品ができるまでの半年間はフリーマーケットに出店しました。小瓶のバージンココナッツオイルに「ココナッツオイル300円」と書き、友人が古着を並べて売るブースに段ボール箱ひとつほどのスペースで販売。最初は1日、5,000〜6,000円の売り上げでしたが、毎週末出店しているうちに、買ってくださる方がどんどん増えてきました。お客様のなかには店舗を構える方もいて「うちに置いてあげるわ」とお取引がはじまりました。

フリーマーケットから少しずつ大きなイベントに出店

 

次のステージへ!きっかけは、やはりフィリピン

事業を立ち上げて3年目の2007年、自らイベントを企画して販売するようになりました。そのきっかけは、資金不足で潰れそうになっているフィリピンの幼稚園を支援している女性たちとの出会いでした。寄付金を集めるためアースデイ神戸の前身となる「神戸アジアンヴィレッジ」というイベントを一緒に企画開催しました。

初めてイベント企画を行った神戸アジアンビレッジの様子

このとき同じ思いを持っている人たちが沢山集まってくれたこと。そして、その人たちが扱う環境にいいものや、体に良い影響を与えてくれるいいものを、もっとお客様に知ってもらう場所をつくりたいと強く願ったことが、イベント企画の大きなモチベーションとなっていました。また、ココウェルとしてもフリーマーケットを卒業し、「アースデイ東京」などの意識の高いが集まるイベントへ積極的に出店するようにしました。

 

2017年、「ココナッで世界を変える大作戦」として出店

 

アースデイ東京ではブース内でココナッツについて知ってもらうための展示も行いました。

 

必ず広がる!と信じ続けて

日本に存在しないココナッツの良さを知ってもらい、暮らしに根付かせていくのは本当に難しい。でも「必ず広がる」という自信はずっと持ち続けていました。

会社から月の給料が10万円ももらえなくて、アルバイトをしながら生活を繋いで8年目。2012年頃から、バージンココナッツオイルが日本でも認知されはじめ、弊社もココナッツ専門店ということでメディアに取り上げられる機会が増えてきました。

ココナッツオイルをはじめとした食品、コスメなど商品を販売(写真はココナッツオイル3種)

 

ココウェル本社にてセリアさんと

現在、必ず広がるという根拠のない自信が、根拠のある自信となってきた実感を得ることができるようになってきました。しかし、日本の暮らしの中に当たり前のようにココナッツオイルを存在させるため、あと一歩、もう数十歩、努力を続けたいと思っています。